助産師を目指した理由
先日、アフターバースプランを受講しました
その中で、
『マインドセット』
という言葉が何度もあり、
まだまだ深めていかないとだけど、
『まずは自分』ということで
【私が助産師を目指した理由】を振り返る
初心に戻ることで「自分が見える」そんな気分なので、振り返ります(^^)
私の祖母は助産師です
『助産師』。。。と言うにはちょっと違和感があり、
産婆さん
その方がしっくりきます(^^)
祖母はすでに他界しましたが、
1918年(大正7年)生まれなので、生きていれば103歳
私が助産師を目指した時の祖母は
すでに会話が出来る状態ではなく、他界したのも、私が助産師1年目の時でした。
なので、祖母とは全く助産師についての話をした事がありません。
祖母は父方にあたるのですが、
父が小さい頃は『◯◯助産院』と自宅に看板を掲げ、
お産があれば走っていき、
お金に余裕のない方であれば料金は貰わなかったりしていたそうです。
(昔の事に関する記憶力だけは良い父から聞いた話なので、多分そうなのだと思いますw)
私の出生時に取り上げてくれた産婆さんが祖母
そして、病院ではなく実家で産まれました。
祖母が助産院をしていた当時(昭和20年前後~30年?)は自宅分娩は当たり前の時代
ですが、私世代、現在もですが、病院での出産が主流。
現在も自宅分娩はありますが、とても少数です。
【自分が産まれた場所】って愛着がわきません?
私にとって、祖母に取り上げてもらえた自宅(実家)というのは、
単に実家という場所だけでなく、とても大切な場所なんです。
祖母に取り上げてもらえたこと。
実家で生まれたこと
これは、私の小さいころからの自慢でした。(^^)
自宅なので、私の出生時には父が付き添っていました。
父にとって、私が産まれた時の様子が、強烈に印象に残ったのでしょう
父は、私が幼い頃から、その日のことを、あたかも今始めて話すかのように
何度も何度も話します(;^ω^)
『ま~た話しよる…』と思うけど、もうあえて突っ込みません w
「お前がなかなか産まれて来んけん、お袋から『お腹押しなさい!』って言われて、
俺が母ちゃんのお腹を押して手伝って、お前は産まれたっちゃけんね!」
「破水した時の水がピシャーツてかかって、襖にシミになって残っとる」
「お前が産まれた後にお袋は血圧が上がって倒れたとよ!w」
などなどなど。。。www
「お父さんが私を産んだんかーい」って思うほど、
産んでくれた母からよりも、父の方から、私が産まれた時の話をよく聞きます
そして母も、お産の時にエピソードを
「お父さん、私の顔の前に股がるけん、息が出来んで苦しくて、もうどいてー!って思ったよ!」
と、笑いながら話します
物心ついた時から何度も何度も聞かされてきました。
その話をする両親は、私には、嬉しそうに、楽しそうにみえていました
両親のそんな姿を、観て、聴いて、
「あぁ、私はこの両親に望まれて産まれてきたんだな」
と感じました。
私の中でのこの感覚が、両親からの愛情を感じるものであったのは間違いありません。
自分が産まれてきた時のことを、こんな風に語ってくれる両親っていいな
そうやって、子供が産まれる時に、家族の絆も産まれるのかな…
私も、家族の絆が産まれるお手伝いがしたいな…
私もそんな助産師になりたい
それが、私が助産師を目指した理由、きっかけです
こうやって、改めて思い返してみても、
私の助産師の土台は、ここにあるな~と感じます